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青瓷 粉青失透釉 尊形瓶 参 考 品 |
─── 汝 窯 に つ い て 、 遺 跡 を み な が ら ──── |
汝窯の青磁は徽宗帝のプライドそのものである。 北宋の徽宗帝は、12世紀初頭に清凉寺窯内官窯区(汝窯)で 貢品や宮廷用酒器等を焼成した。 それは即位後すぐである。 汝窯は徽宗帝以前、父親の代から黒胎青磁や白釉磁を焼成していた。 (遺跡から発見されている。) その汝窯は北宋の青磁官窯の中心である。(他にも官窯があったようだが)。 しかし北宋政府は汝窯青磁だけでなく民窯である定窯や越州窯、耀州窯等にも 白磁や青磁を御用器や諸国への賜贈品として製作させている。 ところでこの粉青失透釉で包まれた小型の尊形瓶は貢品として製作された逸品である。 その釉は「一層釉」で、硬く強い。当然尊形瓶は型づくりであり素焼きをほどこした瓶である。 また、釉中にメノウ粉末や稀少金属を含んでいる事は他窯に類をみない。 従って、完成品を得るのは極めて少数であったろう。 黒いヘアラインを釉皮に加えた瓶は端正である。 やや緑色に輝く粉青失透釉は陽の沈む薄暮に異彩を周囲に放っており神秘的である。 (ちなみに12世紀頃の高麗青磁は汝窯、青緑透明釉の影響を強く受けている。) ※ 尊形瓶の外高台には、二重線の印刻粘土板が貼られている。 崇寧四年(1105年)の製作年のあとに窯名(清凉寺)、 銘文 汝窯、徽宗名と貢品であること、等を印刻。 墨汁のあとが残っている。 ※ 中国の学者の汝窯に関する見解について。 汝窯の活動目的のひとつに貢品を創作するために開窯したとする、論文がある。 また礼器や祭器の焼成、さらに徽宗帝への御用磁の製作という目的があるという。 それらの見解は遺跡発掘の結果、間違いではない。 しかし、徽宗帝への御用磁の割合は10〜15%程度であったようだ。 粉青失透釉や青緑透明釉等の釉種がみられる(遺跡出土品)。 台湾故宮の汝窯器は粉青失透釉であり、礼器や祭器であろう。 ※ 徽宗帝への御用磁である青緑透明釉の酒器。 青磁酒器には一面に細かい貫入が施されている。 釉皮には徽宗帝の漢詩文(題詩)が刻まれ、その中に金を埋めている。 なお、口沿部には銀覆輪(金彩)がすべての酒器に施されている。 ※ 黒胎は胎土中の鉄分を還元炎で焼成したために発色する。 |