東京都中央区銀座5-1銀座ファイブ2F  海のシルクロード
(旧数寄屋橋ショッピングセンター)                         www.umi-road.jp
         
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店主の経歴と活動
店主レポート 知って得するアドバイス

鑑定の技術
日本の中の龍泉窯の歴史

気になる情報(鈞窯の学説変更)
 
 店主のプロフィール   (東洋陶磁学会会員)

 1947年生まれ。

 工業高校を経て中央大学卒。 メーカー勤務ののち脱サラ。
 
1996年より趣味の考古学の延長から古美術を扱う。
 主に古陶磁を紹介中。 海外発掘経験多数。

1996年 海のシルクロード開店。(千葉県習志野市)
○2000年 海のシルクロード銀座店開店。(東京都中央区)

店主の経歴と活動

○出稿文

 
2001年12月号 創樹社美術出版「小さな蕾」誌上
 タイトル【南海に眠る古陶磁ロマン】‥下記に記載。         
                                 小さな蕾の本
○上場企業での講演。

        

    2001年 講演風景(近畿日本ツーリスト内)

○日本骨董学院(東京都渋谷区)出講。
○店内にて2003年09月より勉強会を開催。
店内にて2005年07月より勉強会を個別授業に変更。
2006年3/27〜4/ 3 第1回 青磁展示即売会開催。
                  【海のシルクロード店内にて】
2006年7/22〜8/22 第2回 青磁展示即売会開催。

                  【海のシルクロード店内にて
2007年 4月 勉強会(個別授業)開催中。
○2007年 7月 勉強会(個別授業)開催中。



”南海に眠る古陶磁ロマン”
 
  店主レポート(小さな蕾の本)
     
「珊瑚礁で発見された十五世紀の木造交易船」

             
 最新ジャンク船引き揚げレポート‥‥菊池正行
                                                 

「明時代の沈没船発見!海底に散乱した夥しい古陶磁や 積荷、「白い竜骨の残った船体」という
新聞の見出しには現代人が描く冒険とロマンが波間に見え隠れしているかの様である。

二十六年前に韓国新安沖の海底で発見された元時代の交易船は1323年頃の沈没船と発表された。

沈没船は朝鮮半島を経由し、日本寄港の後、 東南アジア方面に向かう予定だったとのことである。 

出帆は中国の慶元港(ニンポー)らしい。その積荷の中からは、28トン以上の中国銭や、積荷の60%を占める
龍泉窯青磁
、「東福寺公持」 と荷主名が墨書された木札や、日本刀の鐔、下駄などが発見された。

乗船者の居住空間は船艙に満載された積荷の隙間、約半畳であったという考察もある。そんな中、
船は無寄港で一ヶ月に及ぶ航海をしていたらしい。

交易商人の船艙内での忍苦は 計り知れないものがあっただろう。


ところで東南アジア諸島間に交叉した「海上の路」で発見された19世紀以前の沈没船の数は今までに
二十隻以上に及ぶ。

船籍も中国から西アジア、ヨーロッパと広範囲に渡っているが、そのなかでも東南アジアの諸島間で
最も多い沈没船はジャンクと呼ばれる、明時代からアジアで活躍した船底の浅い中国籍の木造帆船であろう。

およそ七千もの島々から成るフィリピン沿岸の海底で発見されたジャンクの海底遺跡の一つに
南スルー海に面したパンダナン島遺跡がある。

この遺跡は水深42メートルの珊瑚礁にあり、多数の大壷やガラスビーズ、 二門の大砲と共に発見された
15世紀前半のジャンクである。

また今年の五月には解禁令の施かれていた、 明時代15世紀後半に沈没したジャンクの発見が有った。

この海底遺跡は五月十四日頃、マニラの北西部サンバレス郡沿岸の水深約30メートルの傾斜した海底で
漁民により発見され、マニラ首都圏の新聞の一面にニュースが掲載されたのは五月二十六日の朝刊である。


               新聞の写真
              
パンダナン島やサンバレス郡のジャンクは、共にフィリピン群島南西部のスルー海をパラワン島に沿って
北上した船と思われる。

交易船は中国南部から大陸に沿って南下し、マラッカ海峡を通過、ベンガル湾まで達してから帰途に就き、
タイからインドネシア諸島の中継交易地を巡って五月から十一月に吹く南西の季節風に乗り、
パラワン島南西部に着いたと思われる。

ジャンク船が中国南部の河口港から出帆するには、十二月から四月までの北東の季節風に帆を張れば
東南アジア諸島への航海には無理がない。
無風状態のマラッカ海峡で頻発した海賊との交戦を除けば比較的安全なルートであった。


八年前に発見されたパンダナンジャンクの積荷には中国銭は少なく、永楽通宝が目立つ程度だったが、
80センチ前後の大壷や安南の小物、タイのサワンカローク窯の四耳壷、直径35センチを超す
景徳鎮窯青花麒麟文盤等を混載していた。

しかしフランス人ダイバー達を最も興奮させた引き揚げ品は、青紫のコバルトで見込みに鳳凰と麒麟を
描いた直径30センチの元時代末の景徳鎮窯腰折形碗である。

五月に発見されたサンバレスジャンクにもサワンカローク窯の四耳壷や、刻花で飾られた龍泉窯青磁盤、
景徳鎮窯中型盤(直径19センチ)等が大量に発見されたがなかでも注目されるものに直径60センチを超える
龍泉窯青磁盤がある。

           景徳鎮小皿
        
 青花牡丹紋ちょう 
興味深いことに韓国新安沖の元時代の交易船や、フィリピンの明時代交易船の積み荷には新古の中国銭や
古陶磁があったが、サンバレスジャンクでは15世紀初頭の景鎮窯小壷や小物、14世紀前半の珍稀な
鉄斑文青白磁の小物が目立っていた。

その他にも日本の鎌倉時代13世紀半ば、鎌倉に安置された宋様式の大仏鋳造に用いられた銭貨と同様の
新古の輸入銅銭は、前述のように新安沖からも大量に発見されている。

ところで南海交易の対象となった特産品のひとつに天然真珠が有る。
パンダナンジャンクがめざした漂海民の住むスルー海は、天然真珠の古来からの産地である。

天然真珠は重要な交易品であり、中国では専売品のひとつだった。

その他東南アジア諸島の特産品には海底では発見されにくいスパイスや香木、そして鼈甲、珊瑚、象牙などが
有るがそれらは海商にとって最も重要な交易品であり、事実17世紀には香料諸島でスパイス戦争と
呼ばれる戦いがオランダやイギリス等の国々によって繰広げられた。

中国特産の絹布や陶磁器を、 南海諸島の特産品と交換したジャンクの、厳しくも華やかな航海の日々に
思いを馳せると、南海で沈没した交易船の新たな発見が近々あるのではないかと思えてくる。

なぜなら、紺碧の大海原に浮かぶ白い珊瑚礁や、満天の夜空に浮かぶ星座を頼りに航海した、
35メートル足らずの木造船には、きっと我々の思いも掛けぬ困難の数々が待ち受けていただろうと
思えるからである。

            沈船引揚げ品

                                
(海のシルクロード店主)
                 
     

      
香料諸島‥‥インドネシアやジャワ島


               
 知って得する重要なアドバイス

【1】古陶磁の鑑定と購入のための基礎知識と新作のコピー陶磁器について

きょうは、私共のホームページをご覧いただきありがとうございます。

皆様は、日本や中国・東南アジア等の古陶磁を求めるおりにややもすると現代作のコピー商品を
購入することがあるかも知れません。

私共「海のシルクロード」は店内で古陶磁の勉強会を開催しています。
ところで、その勉強会に出席されたほとんどの皆様が、過去に共通して考え違いをされていました。

きょうは、その考え違いについてまとめてみましたのでお話しします。

楽しいはずのコレクティングが購入の後、数ヶ月のうちにコピーに気づいて精神的に落ち込まないように
との思いで概略をまとめてみました。

(1)古代窯業や中世の窯業と現代窯業の違いを知る。

古代の窯業のその技術や窯の形状、燃料、胎土、釉薬の調合、ロクロ、様式(形式)、デザイン等について
学ぶことが重要です.

デザイン等は真似る事が可能です。(しかし筆勢や彫りはオリジナルのものとは異なる場合が多い)。

(2)アジアの古陶磁の場合、2〜300年前の一部分のものを除いてそのほとんどは土中や水中から
発見されるものです。


土中や水中で数百年を経た古陶磁には多くの変化や付着物が見られます。
釉の変化、コンディションに注意しましょう。

3美術館内の陳列品や美しい写真を掲載した専門書の優品を模倣したコピーに注意しましょう。

また有名な国内外のオークションに関係した(出品された)古陶磁のコピーにも注意しましょう。
 ブランドやネームバリューに飛び付くのは危険と言わざるを得ません。

(4)骨董(特にこわれもの)にパーフェクトを求めるあまりに少々のキズを嫌がるという
完全主義から遠ざかりましょう。

キズも経年の中の美しいもののひとつです。 人の年齢のようなものです。
キズは求める折に、価格のディスカウントで補えます。

(5)パソコンを利用した古美術品(古陶磁等)の買い入れはもっとも危険です。

オリジナル品ほど写真撮影は難しいものです。色や古陶磁特有の感性や重量はパソコンの画面からは
得られません。直接古陶磁に接触しましょう。

また、商品の説明文や引用文にも注意しましょう。

長文過ぎる説明や引用する美文調の文章は古美術品についての「過分な装飾」であり、時に真作かどうか
疑問な事が多いのです。

以上の注意点について思いつくままにお話しましたが、皆様に多少でもご理解頂ければと思います。

座右の古陶磁や古美術品を鑑賞する楽しいひと時を
おもちになれますように‥‥。
   
【2】━写真に撮る━
    
嬉しい出来事や悲しい出来事、人生には悲喜こもごもが日常ですが、時としてそんな時に求めるのが骨董。

突然の幸運に懐も豊かな皆さんへ。骨董歴があるないにかかわらず骨董の姿を写真にして見ましょう。

あなたのその時の気持ちがややもすると古美術を見る眼に霞がかかるものです。
冷静にと言っても難しいのです。しかし、カメラの眼はその品の真の姿を写しています。

真品は、作品の大小にかかわらず、写真の中では大きく感じられ存在感があります。
無心の美とでも言うものでしょうか。

【3】━最近の中国のアンティークマーケット事情━

一部の骨董誌にはすでに報道されていますが、ご存知のとおり、中国の首都や沿岸部の大都市では
あらゆる古美術品や古陶磁の値上がりはすざましい情況です。

すでに60社以上のオークション会社が乱立して骨董マーケットの膨張をさらに加速させ、また、
大骨董街ビルは、昨年新たに数ヶ所で竣工しました。

中国政府の古美術品の海外持ち出し禁止は相変わらず継続中です。

昨年、ツアーで日本に渡航したアンティークディーラーやコレクターの方々は、弊店にも、来店されました。

2〜3年先のアンティークマーケット事情をみて、中国人は昨年に続き今年もまた投機的購買を
続けると思われます。

日本国内の良心的品揃えの店の、品薄な情況は今年、さらに加速すると思います。

したがって、日本国内のディーラーの扱う商品数が数百点用意されているという情報には、当然、
無理があるという事がお解かりになると思います。

コピーに十分注意しましょう。

                                      続く

   日本の中の龍泉窯の歴史

中国浙江、福建、江西省にまたがる名窯、龍泉窯は、中国最大の青磁窯群です。

その昔、12世紀末から13世紀初頭に龍泉窯は砧青磁(きぬたせいじ)と我が国で呼称された白胎厚釉の
玉質青磁を作ったことで有名です。
(その青磁は釉薬の改良や釉の重ね掛けの工夫による画期的な青磁でした。)
 
我が国の国宝の中にこの龍泉窯作品が、数点ある事をご存知でしょうか‥‥。

     
<最新の情報>

価格の暴騰の著しい中国のオークションの主流作品は今年から来年にかけて、それまでの
絵画等に青磁がプラスされてゆくとの情報があります。

しかし青磁もまた多量のコピーが市場に混在していますので注意してください。


下記の写真は、第2回青磁展示即売会の古陶磁品の一部です。
展示品の一部   展示品      

   鑑定の技術

  ━建窯についての大事な話し━    

中国福建省のかの有名な建窯、あの禾目天目や曜変天目茶碗(国宝)を焼いた古代窯のことです。
建窯が天目茶碗を」専門に焼いたといえども、じつは、杯等の酒器も焼成していた事は
あまり知られていません。

先日、建窯の遺跡をよく識っている友人に会い現地の窯址の話しをした折のこと。
私の質問は、茶碗や杯の見込みに厚く溜まった斜めの釉だまりの事に及んだ。
(建窯の茶碗や杯には斜めの釉だまりが多い)

友人いわく、発掘調査された宋代の登り窯(階級窯)の一本の長さは約80〜120mで、周辺の地域に
約300本ほどあるとのこと。 (階級窯の傾斜角度は約15度

また窯は一度の焼成で10万個の品を焼いたようだ。

焼成室の床面が階段状の水平面と思っていた登り窯は、やや傾斜面を残した平面で、
茶碗や杯(杯はサヤの中に約10個ほど詰められた)を入れたサヤはこれまた垂直を得ない4〜5つ
重ねの状態であったと説明された。
(燃焼室からの火力風のためわざわざ傾斜に置いたとの説もある)

要するに現代作家の窯を想像すべきでなく、商品の量の多さと窯の長さを考慮すると、中国の古代窯の
往時の活動の実態は大きく日本の古窯と異なるようです。
(しかし、以上の話は宮中への貢品や
、高級品の作調とは異なるかもしれません)

              
                柿釉笠形杯
                 建窯
                  北宋
                口径  9.5cm
                高さ   4.0cm




  気になる情報
     鈞窯の学説変更    ──鈞窯の新たな編年──


    「中国の鈞窯研究についての発表」について。

    いままでに金時代の作とされていた、鈞窯の紫紅釉や澱青釉、紫釉の器の中で
    一から十の番号のある花盆や水盤、尊が、2004年に河南省の遺跡から出土した
    破片を研究したところ、明時代14〜15世紀の作と変更されている。

    一から十の番号の件は長く論争されたが、2006年11月に「中国深セン『官鈞』磁器学術検討会」
    が開かれ活発な議論の末に、上記のように明時代初期の作と結論付けられた。

     ちなみに鈞窯は宋時代より万暦の頃まで活動し、その初頭の宋時代の作には
    「官窯タイプ」もあるとのことです。

            
                                     2007年5月19日
                                          東洋陶磁学会総会に於いて。



           
                  中国・アジア古美術 収集・販売
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